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まさやんって何者?

ある人との出会いで人生が狂った?いや好転した

旅する作業療法士まさやん@t_ot_masayan)です。

今回も前回に引き続き、自己紹介編です。

第六弾は

健康を追求していく中で、

ある人に出会って人生が好転したお話。

[toc]

出会いは温泉施設

国家試験に受かり、作業療法士として正規雇用された24歳の秋

ある人との出会いは帰省中の出来事であった。

日々の疲れを癒すため、温泉施設を訪れた。

いつも通り、サウナとお風呂で汗ダラダラになりながら、老廃物を出しまくっていた。

この温泉施設は岩盤浴があり、

あるものが目に止まった。

ホットヨガ

ヨガにハマっていた僕は参加を即決した。

ホットヨガは初だったため、

どんなことをするのかなーとワクワクしていた。

だが僕の予想していたものとは全然違った。

正直なことを言うと

その時、どのような運動をしたのかは、あまり覚えていない。

ヨガのポーズ自体はしていなかったはず。

唯一覚えているのは

あ〜へ〜あ〜ほ〜

と発声しながら

お腹をへこます運動であった。

いわゆる〝ドローイン〟と呼ばれるものだ。

ドローインは主にインナーマッスルに働きかけ、

腹横筋や横隔膜といった姿勢や呼吸に関与する筋肉に効果をもたらす。

効果として

  • 呼吸が深くなる
  • 腰痛予防になる
  • お腹周りが引き締まる
  • 姿勢が良くなる

ドローインの効果には賛否両論あるが、

僕は、人の記憶に残りやすいこのインパクトに惚れた。

あ〜へ〜あ〜ほ〜

って、この人ふざけてるのかなって思った。

でも、この人は大真面目だった。

このちょっとふざけた感じのワードが人の心に残りやすい。

なぜだかわからないけど

あ〜へ〜あ〜ほ〜

って言ってると

笑ってしまう。

周りを巻き込み

笑いが伝染する。

このふざけた運動を生み出した男こそが

僕の人生を狂わせた?

いや好転させた

あへあほ体操〟生みの親

しものまさひろ〟である。

しものさんの第一印象は

ずっとニコニコして笑っている。

変人っぽい雰囲気を醸し出している人。

でも言葉一つ一つに力強さがある。

軽そうで重みがある感じでした。

類は友を呼ぶってよく言うけど

変人である僕と似た人と出会ったって感じだった。

あへあほ体操認定インストラクター取得を決断

ここまで

しものさんのことを散々

ふざけた人とか変人とか言ってますが、

この人のおかげで僕の人生は大きく変わったんです。

本当に感謝しかないんです。

しものさんに出会って得たものが半端じゃなくデカい。

僕はしものさんに出会ってから1年後に

あへあほ体操認定インストラクター取得〟を決断しました。

それはなぜか?

作業療法士2年目の僕は呼吸器疾患のリハビリに力を入れていて、

呼吸筋の強化や日常生活動作に合わせた呼吸方法の指導をよくやっていました。

〝吸う〟〝吐く〟

を交互に行いながら人は呼吸をしています。

ですが高齢者にとって、

もともと無意識でやっていた呼吸を意識して鍛えることは

結構難しく、指導に苦労してました。

教えてもすぐ忘れてしまう。

何回も何回も指導を繰り返しても

吸うタイミング・吐くタイミングを忘れてしまう。

これなら退院しても自主トレーニングはしないな。

自分でケアできなさそうだなと思っていた。

退院しても健康管理ができずに、また再入院するな。

僕のリハビリはこんなもんか。

くそっ!

悔しい!

自分のスキル不足に嘆いていた。

そこでふと…

あへあほ体操のことを思い出した。

あへあほ体操ってネーミングはちょっと引っかかるけど印象には残りやすいよな。

ドローインだから呼吸筋鍛えられるよな。

よし!取ってしまえ!

そう思って、ボーナスをはたいて養成を受けることにしました。

資格取得後に苦労したこと

函館に住んでいた僕にとって養成を受けられる札幌の往復は結構きつかった。

距離でいうと、約250km。

車で片道5時間。冬は6時間程度。

なかなかの距離だ。

道外にお住いの方は驚かれると思うが、

道民にとっては、この距離はいつものこと。

いや。この距離を何十回も往復していた僕の距離感が狂っているかもしれない。

道外であれば何県かは跨げる距離だろう。

函館・札幌間を往復し、

なんとかインストラクターの資格を取得した。

資格取得したときの写真…まだフレッシュな感じがして若い

資格取得後、自分の勤めている病院に還元しようと思った。

だが現実は甘くなかった。

病院で、患者さん個人あるいは集団に対して

あへあほ体操を実施するのはやや無理があった。

あ〜へ〜あ〜ほ〜」と大声を出しながらやってしまったら院内の迷惑になってしまう。

あへあほ体操の魅力である〝笑いが生まれる〟ことを押そうとしたが

当時の僕は、臆病で強く押せなかった。

病院では現実味のない手段であったことに、このとき気づいた。

だが、病院であへあほ体操ができなかったことよりも

実は得たものの方が大きかったことに気づく。

ワクワクする感覚

あへあほ体操は地域に住まう幅広い世代に対して活動をしています。

世界共通の健康体操にする〟ことを目標に僕らインストラクターは活動しています。

あへあほ体操は、とにかく〝ワクワク〟することを大切にしています。

あへあほ体操のロゴ…よくTシャツにプリントされている

皆さんに、このロゴをよ〜く見てもらいたい。

何か違和感があると思います。

実はこのロゴは、

あへあほをワクワクで囲んでいるんです。

ヤバくないですか?

ワクワクを胸に刻み、活動しているんです。

こんなロゴをつけたTシャツを着ながらやっていたら楽しくない訳がない。

あへあほ体操の活動を通して得たもの

作業療法士としてどうかと思うが、

あへあほ体操の活動を始めるまでは病院の外の世界をよく知らなかった。

地域に住まう人達は

何に困って

何を目的に健康になろうとしているのか。

地域のニーズはなんなのか。

僕の視野は格段に広がり、健康への追求に拍車がかかった。

健康になった先に人は何を求めるのか。

主に2つのパターンがあることに気づく。

  • 友人と一緒に楽しい時間を過ごしたい
  • 死ぬまで介護されたくない

このパターンが非常に多い。

人は一人では生きていけないし、親しい友人達と楽しい時間をいつまでも過ごし、最高の人生だったと笑顔で最期を迎えたいんだ。

介護されるようになると、排泄や入浴の際に他者の助けが必要になるというイメージが強く、そのような恥は晒したくない。最期を綺麗な気持ちで迎えたいんだ。

これらは、

あくまでも僕個人的な解釈のもと導き出した答えであるため、皆さんと意見が違って当たり前だと思うので、軽い気持ちで読んでもらえたら嬉しい。

健康の先に何を求めているのか

ここを深めることができ、

だったら病気になる前にどんなサポートが必要なのか。

病気になってからも、どのようなサポートをすべきなのか。

日常場面をより強くイメージする力がついた。

ジャンルの幅広さ

あへあほ体操が関わるジャンルや世代は半端じゃなく広い。

子供の体幹強化
中学校であへあほ体操
アスリートの体幹強化
プールであへあほ体操
健康関連のフェスであへあほ体操
函館蔦屋書店であへあほ体操
お寺で講演
メディア出演
メディア出演
ペッパー君とコラボ

活動の幅が広い。

子供から高齢者まで

学生向けからアスリートまで

講演や健康フェスの参加

メディア出演

ロボットプロジェクト

などなど…

この柔軟性は、

しものさんの思考が常識にとらわれていないからだろう。

しものさんは固定された常識を壊すクセがある。

しものさんの脳は100%ワクワクでできているのだろう。

まとめ

僕の人生は、

しものまさひろに出会ったことで劇的に変化した。

地域に住まう人達の奥底に眠るニーズをキャッチしやすくなった

常識にとらわれない思考が育った

ワクワクする感情がたまらなく好きになった

笑うことの大切さを知った

物事に対する視野が広がった

作業療法士だけの世界では得られないものばかりだ。

本当に感謝しかない。

しものさんをはじめ、あへあほメンバーみんなが僕は大好きです。

あへあほ体操が気になる方は

⬆︎をクリックしてね。



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まさやんって何者?

〝まさやん流〟挫折から這い上がる方法

旅する作業療法士まさやん@t_ot_masayan)です。

今回も前回に引き続き、自己紹介編です。

第五弾は

まさやん流挫折から這い上がる方法についてのお話。

前回の記事から繋げた形で綴っていきます。

[toc]

挫折から何を思ったのか

僕は22歳の3月

作業療法士の国家試験に落ちた。

この人生最大の挫折が

僕を激変させた。

この時に、

どのような感情が一番初めに出てきたのか…

それは

悔しい〟という感情だ。

この悔しい感情からどのようなプロセスで這い上がろうとしたのか

詳しく考えてみる。

① 国家試験当日まで自分なりに努力したつもりだったが、

自分の努力では合格という壁を越えられなかった。

それに対して悔しいという感情が溢れた。

もっと自分はできたはずだ。

良い結果を残せたはずだ。

あんなに頑張ったのに

なんでだ。

くそっ。

こんなに悔しいことはない。

自分の努力はこんなちっぽけな力しかないんだ。

② 悔しい感情から自分の行動・生き方を否定した。

僕は感覚的に行動して生きていた。

なんとなく

思うがままに

自分の直感のみを信じて行動していた。

この時までは、この方法で自分の理想とする目標を達成できていた。

だが、この方法では

大きい壁を越えられないんだと

自分のこの生き方を否定した。

③ この否定された自分から、

理想の自分をイメージし、

そうなるにはどうしたら良いのか考え始める。

ダメな自分 × ➡︎ 理想の自分 ○

×から○になろうとする。

具体的な行動案を見出し、実行する。

つまり、

挫折を味わったら

① 感情を強く認識

② 自分の行動・生き方を否定

③ なりたい自分を強くイメージする

僕はこのプロセスを経て

行動・生き方が激変した。

人というのは、

どん底まで落ちれば落ちるほど

そこから大きく飛躍しようとする

乗り越えようとする。

これは大きなバネとなる。

なりたい自分を鮮明にイメージする

自分はできる。

自分に限界はないんだ。

できる。

できる。

できる。

自分の可能性を信じ、

とことん突っ走ってやる。

この〝強い意志〟が大切。

具体的にどのように行動したのか

まずはじめに僕がやったことは

なりたい自分をイメージした。

国家試験に受かり

同期にも負けない

同世代にも負けない

最強の作業療法士〟になるんだ。

日本が誇る作業療法士〟になるんだ

と、強くイメージした。

僕は国家試験に落ちてから

内定が決まっていた函館の病院で

リハビリ助手として働くことになった。

半年間働きながら勉強して、

もう半年は一度退職して勉強のみに専念する。

このような計画で

次の国家試験に望むこととなった。

当時、リハビリ助手の給料は少なく、

一人暮らしの僕にとってはかなりきつかった。

働きながら勉強するのは大変であった。

専門学校の先生には

「働きながらなんて絶対受からないぞ」

と言われた。

自分がこれからする行動・生き方を否定された気分になった。

国家資格がないだけで

同期との力の差はどんどん広がり

劣等感〟を感じ始める。

悔しい。

この悔しい想いを抱きながら

とことん突っ走り始める。

働いた後は6時間ほど勉強し

睡眠時間は3時間。

食事は米・卵・ふりかけ・味噌汁。

米でお腹を満たすために1ヶ月で20㎏ほど食べていたこともある。

これを半年間続けた。

正直かなりきつかったが、

自分はこんなもんじゃない。

まだいける。

まだ追い込める。

もっとだ。もっとだ。

と自分を奮い立たせて

生きていた。

その結果

追い込むことが癖〟になってしまった。

無事に国家試験にも合格し

また同じ職場で働くことになった。

働いていなかった半年間で

同期との差は更に広がった。

また悔しい感情が出始めた。

また劣等感を感じ始めた。

同期と競っていたわけではないが、

このブランクを埋めようと

健康〟というものを

とことん追求することにした。

休みの日は

リハビリ関係のセミナーへ行き、

健康に関係するものであれば何でも行った。

自分が学びたいと思うものには

道外でも行った。

会いたい人がいればアポをとって会いに行った。

とにかく健康を追求するために行動しまくった。

そのおかげで

様々な人と出会い、

人として磨かれていった。

学ぶ姿勢が

探求する姿勢が

磨かれていったのだ。

感覚的でなんとなく行動していた自分〟から

学びを深める姿勢に変わった自分〟になった。

人生最大の挫折が

僕の行動・生き方を大きく変えたのだ。

この挫折がなかったら今の僕はいない。

本当に

心の底から

国家試験に落ちてよかったと思った。

這い上がる力がついてよかった。

この出来事に本当に感謝したい。

まとめ

挫折から這い上がるには

なりたい自分を鮮明にイメージ

そこに向かおうとする姿勢・意識が大切であること。

自分の限界を知って

その限界を突破しようと

理想の自分像を鮮明にイメージし

行動すると

人は変わる。

ぜひ

みなさんにも限界を突破する感覚を味わってほしい。

それが

自分の宝〟となる。

成長の糧〟となる。

生きる糧〟となる。

さあ

限界を突破しよう。

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まさやんって何者?

人生最大の挫折

旅する作業療法士まさやん@t_ot_masayan)です。

前回に引き続き、自己紹介編です。

第四弾は

人生最大の挫折を味わった

専門学生時代のお話。

[toc]

感覚で生きていた

作業療法士になるために

リハビリの専門学校に4年間通っていました。

高校を卒業してから

相当浮かれていたのか

とにかく遊びまくっていた。

テスト勉強は

徹夜ばかりで

たいした知識にもならず

成績は後ろから数えた方が早いくらい

勉強ができなかった。

というよりも

やらなかった。

在学中は、年に何回か実習へ行くことになっている。

実習というのは

病院や介護施設等で

実際に患者さんに触れながら

どのようにリハビリをやっていくのか

研修をしていくものだ。

これがまた結構大変なんです。

僕は

いつしか自分の武器となっていた

愛嬌や人当たりの良さを活かして

知識よりも〝人との関係性をどう構築するのか

関係性を軸〟に実習を楽しみ、学んでいた。

なんとなく〝感覚的に行動〟していたため、

根拠への追及を少し疎かにしていた。

知識をつけることも

もちろん大事だが

患者さんや指導者達とどのようにコミュニケーションをとっていくかが

本当に大切で、そこに学びがあるとずっと思っていた。

実習がとにかく楽しかった。

新しい刺激に溢れ

様々なことを学べることが嬉しかった。

この実習は一つの単位であるため、

これを落とすと留年してしまうことも

当たり前のようにある。

その結果、

クラスでは

ストレートで卒業できた人は

半分くらいであった。

僕は実習の単位を落とすことはなかったが

知識面では相当ギリギリだったと思う。

そんな僕は

感覚的で生きていること〟を

じわじわと感じ始めていた。

国家試験の勉強を舐めていた

全ての授業や実習、論文が一通り終わり

4年生の秋頃には

本格的に〝国家試験の勉強〟が始まる。

試験日は2月の下旬頃であった。

僕は〝追い込まれないと本気に取り組めない性格〟であったため、

12月頃まではゆる〜く勉強していた。

なんとかなるだろうと

全く根拠のない自信があった。

1月になり本気でヤバいと思い始め、

1日12時間くらい勉強していた。

やってもやっても足りない。

覚えることが膨大すぎて

もう本当に投げ出したくなる。

でも作業療法士になるために頑張ろう。

みんなで励まし合いながら頑張っていた。

模試では点数が伸びず

不安しかなかった。

そんな不安を抱きながら

国家試験当日を迎えることとなった。

国家試験の壁

国家試験はとにかく緊張した。

当時を思い出すと

今でも胸がドキドキする。

試験時間ギリギリまで頭に詰め込み争っていた。

試験が開始され

いざ問題を解き始めると

  • 完璧にわかる問題→2割
  • なんとなくわかる問題→7割
  • 全くわからない問題→1割

だいたいこれくらいの割合だったと思う。

これはいけるなと

なんとな〜く根拠のない自信を持っていた。

試験後には

模試を提供している各会社から

予測された答案が発表される。

その答案をもとに

答え合わせをした。

結果、

合格ラインを超えているものもあれば、超えていないものもある。

合格ラインを大きく上回ったものは1つもなかった。

試験直後に感じた根拠のない自信は崩れ去った。

合格発表は約1ヶ月後。

この期間は卒業旅行へ行ったりと残り少ない学生生活を楽しもうとしていた。

だが…

この時の僕は〝不安な感情で頭が一杯〟だった。

こんな気持ちで日々を楽しめるわけがない。

表面的には笑っていても

心の中では笑っていない。

そんな気持ちを抱きながら

合格発表の日を迎える。

人生最大の挫折を味わった3月

結果、

1点足りず

不合格

普段泣かない僕は

人前で泣きたくないから

家で何時間も泣き続けた。

当時、

絢香の曲をよく聴いていた。

「手をつなごう」という曲を聴きながら

泣いていた。

絢香の優しい声が

僕の涙の壁を一層した。

泣いても泣いても

泣きやめない。

くそっ!

1点足りないって

なんなんだよ!

悔しくて悔しくて

たまらなかった。

自分の努力の結果はこんなもんか。

頑張ったのに結果がついてこなかった。

僕の頭の中は悔しい想いで溢れた…

だが、

この人生最大の挫折が〝僕を変える大きな出来事〟となる。

この挫折からどう這い上がってきたのか

次回の記事でお話しします。

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まさやんって何者?

まさかのドM

旅する作業療法士まさやん@t_ot_masayan)です。

前回に引き続き、自己紹介編です。

第三弾は

自分が〝ドM〟であったと自覚した話。

[toc]

努力の先に見えたもの

僕は高校卒業後、

作業療法士というリハビリの資格を取るために

4年性の専門学校へ入学しました。

学校は電車を使って1時間くらいかかる場所にあり、

通うのは結構大変でした。

当時はよく宅飲みをしていた記憶が強く残っています。

たくさん遊んで、

たくさん騒いで、

たくさん飲んで、

たくさん走って…

ん?

走る?

そう。

僕の中では宅飲み以上に

走ること〟が記憶に強く残っているんです。

それはなぜか。

学校近隣に住んでいる友達とよく遊んでいて、

その友達は皆んな自転車で移動していました。

僕の自転車は電車で1時間もかかる自宅にあるため持ってこれるはずがない。

というより、持ってくること自体はは車に積めば可能ですが

そこまでする必要がなかったため

そうしなかっただけです。

学校近隣の移動手段は

僕の場合は

とにかく走る。

冬でも走る。

お腹が空いて、おにぎり食べながらも走る。

酔っ払っても走る。

よくここまで走ったなと思うくらい走ってた気がします。

でも不思議なことに嫌ではなかった。

苦ではなかった。

むしろ爽快感や達成感の方が優っていた。

なんだか心地良さすらも感じてしまう。

追い込まれれば追い込まれるほど

もっと追い込みたくなる。

これって、小学生・中学生の頃にサッカーの練習を頑張って、努力していた感覚と似ているなーと感じました。

努力の延長線上にドMの兆しが見えた〟気がしました。

それから、休みの日は

10kmくらいランニングしたり、

バイトが終わって終電をすぎてしまったからと走って帰ったりと、

自分を追い込むことが日に日に好きになっていきました。

今でも夏場は職場まで走って通勤するくらい走りまくってます。

ここまで走りまくっていると自分がドMであることを自覚せざる負えない。

走る行為というよりも

走ることによって起きる

苦しくなる感覚が好きなんだ〟と思う。

そんな自分が大好きでたまらない。

自分の名前、

松田将弥の頭文字をとったら

M・M

生まれながら、Mの気質を持っていたのではないかと、

気づいた時には思わず笑ってしまった。

実はこの追い込むという行為が

僕がいつも当たり前のようにやっている行為に

大きな影響を与えているクセであったと気づいた時があった。

このクセについて書いちゃうと

かなり長くなってしまうため、

別の記事でじっくり書きたいと思います。

お楽しみに〜

恥を捨て自己分析の一助とすべし

僕は〝走る行為〟を通して、自分が〝ドM〟であることを自覚しました。

みなさんは何がキッカケで、

自分がSであること

あるいはMであることを自覚しましたか?

それともまだどちらかなのか自覚できていない感じでしょうか?

知って損はないと思いますよ。

これって、自分を分析する上でとても重要なことだと思うんです。

自分の快楽がどの方向性に向きやすいのか?

自分の〝行動のクセ〟が見えてきますよ。

人間関係を構築する上でも重要なポイントになります。

僕の勝手なイメージですが、

Mであることの方が恥ずかしい世の中である気がします。

でも、

そんなことないですよ。

Sがいれば、Mもいる。

恥ずかしがることなんてありません。

堂々と言ってしまった方が

爽快ですよ。

この相対世界では、

対になる存在は必然〟なんですから。




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まさやんって何者?

人見知りから脱却

旅する作業療法士まさやん@t_ot_masayan)です。

前回に引き続き、自己紹介編です。

第二弾は

人見知りから脱却し始めた

高校生時代の話。

[toc]

あんなに好きだったのに

高校へ入学し、

好きだったサッカー部に入った。

中学生の頃に比べると

当たり前のように練習はきつく、しんどかった。

でも好きだから、何とか乗り越えられるだろうと思っていた。

だが、そう簡単なものではなかった。

だんだんサッカーの楽しさがわからなくなり

挙げ句の果てには

サッカーを嫌いになってしまった。

そこで辞める決断をした。

何か理由がないと辞めれないし

どうしようかな〜と思って

考えた末の理由が

「受験に専念して勉強をしたいから」

おい、おい、もっとマシな理由はなかったのかよ

と思うくらい、なかなか酷い理由だ。

だって高校1年の夏に言っちゃってるんですよ。

早すぎだろって。

きっと当時の監督はこの言葉に呆れていただろう。

でもこの理由を突き通し

結果、部活に入部してから半年くらいで辞めることとなった。

今思うと、辞めたかった本当の理由は

サッカーを一緒にやっている仲間達との間で

所属欲求を満たせなかった〟からだと思う。

前回の記事でも書いたが、

サッカーというよりも

大好きな仲間達の輪の中にいる感覚が心地良かったから

サッカーという手段を使って所属欲求を満たしていた。

高校へ入学すると、義務教育ではなくなり、近隣に住んでいた友人達とも離れてしまい、新しく人間関係を構築しなければならなかった。

でも僕は

人見知りを全力で発揮していたため

高校のサッカー部も含めて、学校の同級生達と

1年生の頃は本気で仲良くなれなかった。

うわべだけの関係性だったと思う。

人見知り〟が原因で人間関係をうまく構築できなかった自分を

本気で否定した。

○○○がキッカケで脱却できた

部活を辞めてから

やることもなかったし

お金稼ぎたいな〜

遊ぶお金ほしいな〜

と思って

バイト〟を始めました。

何が決め手だったか正直よく覚えていないが

スーパーの品出しをすることになった。

人見知りであった僕がバイトなんかできるのか

かなり不安だったが

僕のことを全く知らない環境に飛び込むのは

意外と気楽なものであった。

社会人の大人達に混じって働くことが

こんなにも自分を解放できる場所であったのか、

と思った。

おそらく同世代が多すぎたら

比較対象が自分と似すぎて気にしていたが

ほとんどが大人達であったため

比較するまでもなく

自分の思うままにストレスなく

働けていたんだと思う。

もちろん同世代のバイト仲間もいたが

そこでは人見知りは少しずつ発揮されなくなった。

お客さんのおばちゃんにはよく話しかけられ

よくしてもらった記憶がある。

社員さん達にも、よくしてもらい

僕のことをずっと指導してくれた方には

「松田って年上に可愛がられる感じだよな。その愛嬌の良さは得するぞ。」

みたいな感じのことを言われた。

ここで気づいたのが

僕は〝愛嬌〟が良い方なんだ。

年上受け〟が良いんだ。

と自覚した。

それから何か吹っ切れたのか

人と関わることが好きになり

この〝愛嬌〟を武器に

人とコミュニケーションをとるようになった。

そこから少しずつではあるが

同級生達とも仲良くなれるようになっていった。

環境を変えると人は大きく変わる

環境の力〟ってすごいなーって

つくずく思う。

きっと、ここでバイトをしていなかったら

その社会人の先輩に会っていなかったら

僕は人見知りのままだったかもしれない。

人見知りから脱却するキッカケをくれた

環境に、

関わってくれた人達

みんなに感謝したい。

ありがとう。

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まさやんって何者?

不登校学生が〝仮病〟と〝努力〟を覚えた

旅する作業療法士まさやん@t_ot_masayan)です。

さて今回は

まさやんって、そもそも何者なの?

と気になる方達に向けて僕の自己紹介をしていこうと思います。

生まれも育ちも、北海道札幌市。

28歳の道産子です。

少し長くなるかと思いますので

何回かに分けてお伝えしていこうと思います。

第一弾は

小学生中学生時代。

この時に身につけたスキルをいくつかご紹介していきます。

[toc]

人見知りと不登校

小学生の頃は、かなりの人見知りでした。

喋ることが苦手で、内気な性格。

コミュニケーションも相当下手くそ。

小学生低学年くらいの時に、

人と話したくなくて

学校に行きたくなくなりました。

この時に

親にどのような言い訳をしようか

悩んだ末…

本能的に〝腹痛〟が思い浮かびました。

当時のことを思い返すと、

なぜ腹痛を理由にしようとしたのか正直良くわかりません。

予測ですが、

当時からお腹が痛くなることが多かったのかなと思います。

一番身近な理由を考えたのかなと思います。

いざ親の前に立った時には本気で演技してました。

「お腹いたーい、お腹いたーい」ってお腹を抱えながら

訴えていました。

予想外なことに

本気で痛いと思い込んだら

本当に痛くなってきたんです。

これはヤバいと思いながらも

この調子でいけば休めるぞ。

多少の痛みくらい、たいした代償ではない。

そう思って

この〝仮病スキル〟を使って何度か休んでいました。

人の思い込む力〟って凄いなって思いましたよ。

それからというものの

中学生、高校生、専門学生、大人になってからも

この仮病はたまに使っていました。

自分が具合が悪いと思い込めば、

顔色や簡単な症状くらいならコントロールできちゃうんです。

これって相当凄いスキルだなって思います。

これからも機会があれば使っていこうと思います。

皆さんも僕の仮病には騙されないように注意してくださいね。

僕のことをよ〜く観察してから判断してください。

でも本当に辛そうだったら労っていただけると嬉しいです。

努力するキッカケは○◯欲求を満たすため

不登校小学生であった僕は

小さい頃から父とよく遊んでいたサッカーを小3から始めることになりました。

当時の状況を心配した親が勧めてくれたことがキッカケだった気がします。

ありがたいことに住んでいたマンションにはサッカー少年団の同級生が3人もいました。

おそらく親や同級生達がサポートしてくれたおかげで学校にもしっかりと通えるようになりました。

本当に感謝です。

そのマンションの同級生達と一緒に学校へ行ったり、サッカーの練習に行ったり、試合に行ったり、遊んだり…

本当に沢山の時間を一緒に過ごしてきました。

ですが僕は何をしてもダメダメだし、自分が皆んなよりも劣っている感覚がずっとありました。

内気な性格だし、

うまく喋れないし、

サッカーもうまいわけでもないし、

足も遅いし、

試合に出ても足を引っ張るプレーばかりするし。

一番初めは奇跡的にレギュラーの時期もありましたが、

皆んなに迷惑をかけたプレーをしてしまうことが

本当に嫌で

何度も試合を休んでいました。

これも仮病を使って…

レギュラーを奪われてしまい、

本当に情けない話ですよ。

このメンタルの弱さをどうにかしたい。

逃げてしまったら、皆んなからハブられてしまうのではないかという恐怖がありました。

そう思った時に

とにかく練習をしまくって

上手くなって、みんなの輪の中にずっといたい。

サッカーが上手くない自分だと

きっとハブられるんだ

という思い込みがあったのかなと

当時を振り返ると思います。

所属欲求〟を満たそうとしていたんです。

朝早く起きて、一人で朝練したり、ランニングしたり、居残り練習したり、

練習をいくらしてもレギュラーにはなれずベンチを温める日々が中学校を卒業するまで続きました。

正直なことを言うと

レギュラーじゃなくても良かったんです。

仲間達と一緒にサッカーができるだけで

この輪の中にいるだけで本当に幸せだったんです。

所属欲求を満たすために、

大好きな仲間達とサッカーをするために、

練習をしていたと思います。

あるとき、

チームメイトの一人からこんなことを言われました。

「まさやは〝影の努力者〟だよね」

この言葉が自分の中で

かなりヒットして

本当に嬉しかったです。

自分が認められた瞬間でした。

それから努力することが大好きになりました。

まとめ

不登校がキッカケで、

① 自分を思い込ませる〝仮病スキル〟を獲得しました。

② 所属欲求を満たすために〝努力する力〟を獲得しました。

要は捉え方次第だなって思います。

不登校というのは一見ネガティブエピソードですが、

そこからどのような自分になろうとして行動してきたのか振り返ってみると、今の自分の行動のクセ意外なスキルを獲得してきたことに気づくと思います。

皆さんも当時を振り返ってみてはいかがですか?